2008年10月25日

村上春樹さんの『意味がなければスイングはない』

村上春樹さんの本は全部読んできた。が、音楽について書かれた『意味がなければ、、』と言う本は3年ほど前の発行なのに読まなかった。残念ながら僕はジャズやクラシックにそんなに詳しくなく、いくら村上さんの本でも、僕が知らない音楽家やミュージシャンについてのお話もそんなに興味深く読めないのではないのかな、、と思っていたから。。それがたまたま、book off で目にとまり購入。
haruki-1.jpg驚きました。はっきり言ってこの著作は日本国語の表現(修辞)における最も高い到達点のひとつと言ってもいいんじゃないかと賞賛したいと気分になりました。

例えばこんな文章。

「〜 我々はあらゆる芸術の領域において、ますます【ソフトな混沌】を求める傾向にあるようだ。ベートーヴェンの【近代的構築性】や、モーツァルトの【完結的天上性】は、ときとして我々を息苦しくさせる。我々は「ゆるく、シンプルは意味で難解な」テキストを求める傾向にあるかもしれない。」(〜一部略してます〜)

「、、構造性の欠如の中に、逆説的な構造性を求めるという、いわばポストモダンなロマンティシズムの追求がそこに見受けられる」

などなど。
現代哲学や現代芸術の課題をひょいと軽く飛び越えて春樹さんは、たとえば“退屈な”シューベルトのピアノソナタを演奏する15人ものピアニストをあざやかに表現し分け、実際にそれぞれの演奏を聞くよりも、15人の演奏の違いを明確に気づいたような気にさせてくれる。(実際、同じ曲を奏でる15人の差は、少なくとも僕には分からないと思い、、)

あるいは2人のピアニスト、一人は勤勉、実直で100本ノック的な練習をする努力家の【ゼルキン】という人、もう一人はナチュラルでハッピー、練習嫌いで天才の【ルービンシュタイン】という、2人のピアニストの人物像を、手に取るように表現してみせ、その音色さえも聞こえてくるような錯覚に陥らせてくれる。

またある種の音楽の麻薬的中毒性について語り、それは文章家の文体にも通じることがあると書く。僕は村上さんの文章にこそ、そのような中毒性があるとずっと思っていたし(〜例えばある小説が終わらないでほしいと思いながら読んだりとか〜)、村上さん自身がそのように考えていることなどにも非常に興味深く読んだのでした。

haruki-2.jpgそんでもって、、村上さんが【スガシカオ】を好んで聞いていることは知らなかったし、もひとつ、たまたま入った book off、、って半額タイムサービスがあるのも知らなかった。(ファンなら book off で買うべきではないんだろうけど、、)

もう一つの本は『意味がなければ、、』よりも後の『走ることについて、、』。これももちろん良いですが音楽の本、お薦めですよ。
小さい頃は読書感想文なんて嫌いでしかたがなかったのに、まだまだ書きたらない気分。ま〜このへんで。。

posted by がは at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) |
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